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厳朱零から見える空海 弘法大師 (3)

東洋戦術家 厳朱零(げん しゅれい)です。

 

前回も書いていますが、これから書いていく「空海」は、あくまで厳朱零の主観ですので、

異論、反論は多々あると思いますが、

空海を学んだ方、空海をこれから学ぶ方は、大きな気持ちですべてを受け入れてくださいね。

空海がそうであったように。

 

前回は「利他」を主に書いていきました。

24歳に時に出した「三教指帰」そして、

55歳の時に開設した「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」学びの場、

で、私なりの根拠を述べてきましたが、空海の面白さは、やはり人間離れした能力と伝説の数々ですよね。

 

まず、伝説を一つ。

「空海」の生年月日は宝亀5年(774)6月15日 四国の讃岐国多度郡屏風が浦で生まれました。

西暦774年6月15日です。

「空海」は後に唐にわたり青龍寺の「恵果和尚」から密教を学びました。

そして、「空海」は真言密教の第八祖を継ぎました。これも事実ではありますが、伝説と言えますよね。

短期間で真言密教の継承者になったんです。

 

密教第六祖「不空」という名の僧が中国にいました。

インド出身の僧でインドから中国に来て活躍し、多くの密教経典を中国語に翻訳した。

「不空」の弟子が密教第七祖「恵果和尚」であり、「空海」は「不空」の孫弟子にあたります。

「不空」が亡くなったのが、唐の大歴9年(774)6月15日であったようです。

西暦774年6月15日です。

「不空」が亡くなった日に「空海」が生まれている。

「空海」が「不空」の生まれ変わりの伝説が生まれた。

 

「空海」は、讃岐国を本拠とする地方豪族の出身です。

佐伯田公の3男として生まれた。

幼時は貴物(とうともの)と呼ばれていた。

神童・天才の誉れが高かったものと思われます。

 

一般に、最初の空海伝説と言われるものは「捨身請願」(しゃしんせいがん)です。

「空海」が7歳の時に、ある目的をもって、崖から飛び降りたとき、天女が舞い降りてきて、

空海を抱きしめ、怪我することなく無事だったという。

その場所は、捨身ケ嶽と名付けられて、お遍路さんの霊場になっています。

 

如何ですか?

 

「捨身請願」のエピソードを聞くと、誰にでも伝説は作れると思いませんか?

私もいくつかエピソードをもっているので、誰も信じないとは思いますが、

伝説は作れるなと密かに想像(妄想に近い)しています。

 

貴方にもありませんか?

伝説になりそうなエピソード。

 

ここまでお付き合いいただき有難うございました。

 

続きは次回に。

 

東洋戦術家 厳朱零(げんしゅれい)

川崎ほしよみ堂出演日:5月21日、22日、23日、27日、29日

ご予約お待ちしております。

 

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